今年は、年初から朝比奈隆、カラヤンの生誕110年だな、と思っていたら、
アンチェルも同い年だということで、同じく生誕110年なのです。
3人の中では、アンチェルがもっとも短命で、35年前の1973年に
カナダのトロントで病で亡くなっています。
また、三人に共通しているのが、第二次世界大戦からの生還です。
朝比奈とカラヤンは、共に敗戦国の国民として、
生命の危険に瀕しながらも戦後を迎え、
大きく活躍の場を広げました。
この三人の中では、ユダヤ系ということもあり、
アンチェルがもっとも凄惨な体験をしています。
このブログのアンチェルの“新世界より”にその件に触れていますので、
こちらを読んでください。
↓ ↓ ↓
先日、アンチェルのマーラー交響曲第1番“巨人”を聴いて、深い感銘を受けました。
そして、次は、マーラーの第9番を聴きました。
曲が曲だけに、より深い感銘と胸が締め付けられる思い、
そしてその先にあるものが見えたような気がしました。
参考文献:「クラシックは死なない あなたの知らない新名盤」松本大輔著
「演奏家別クラシック・レコード・ブックVol.1指揮者篇」レコード芸術・別冊
アンチェルのマーラー交響曲第9番、隠れた名盤
マーラーが、1860年カリシュトで生まれてから、
48年後、カリシュトからそう離れていないトゥチャピでアンチェルは生まれました。
※南ボヘミア
地図で見ると直線距離で50キロほどの位置関係で、
お互い、南ボヘミア地方出身でほぼ同郷といっていい関係だと思います。
グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第9番 ニ長調
Symphony No. 9 in D Major
Ⅰ(26:47)Andante comodo
Ⅱ(15:10)Im Tempo eines gemachlichen Landlers
Ⅲ(13:28)Rondo-Burleske: Allegro assai
Ⅳ(23:27)Adagio – Sehr langsam und noch zuruckhaltend
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 – Czech Philharmonic Orchestra
カレル・アンチェル – Karel Ancerl (指揮)
録音: 15 April 1966, The Dvorak Hall of Rudolfinum, Prague, Czech Republic
マーラー:交響曲第9番ニ長調 /カレル・アンチェル(指揮)、チェコ・フィル
僕がいままで聴いてきたマーラーの交響曲第9番のCDでは、トップクラスの名演です。
この曲には、名演の名盤が多いです。
バーンスタインはもちろん、ワルター、バルビローリ、クレンペラー、
クーベリック、レヴァインとそれぞれ感動させられます。
でもアンチェルが、一番胸を締め付けられました。
マーラーの第9番は、いつ聴いても感銘を受けますが、
それは死への恐怖と同じくらい生きることへの憧れを描いているからだと思います。
宇野功芳氏の名文で紹介します。
マーラーは死を怖れ、のたうちまわっている。悶え苦しんでいる。
金管楽器や打楽器が、なんと肌に粟粒を生じさせるような恐怖で聴く者の肺腑をつらぬくことだろうか。
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まことに恐ろしさのかぎりであり、戦慄を禁じえない。音楽はうめき、破滅し、われわれを打ちのめす。
死の一年前の作品だが、ほんのわずかな悟りもなく、全身全霊をこめて死と格闘しているのだ。
しかもマーラーは単に死を怖れるだけでなく、その反作用として、この世の美しさや愛に憧れぬく。
死を前にして生々しい現世の幸福を涙ぐましいほど求めつづける。それはまさに絶唱といえよう。
終楽章はそうした憧れ心の総決算であり、わずかに残された自分の生命への賛歌であり、死後の平和を痛ましいばかりに願いつつ終結するのだ。
まさにアンチェルの演奏そのもののような表現ですが、アンチェルがバーンスタインほど大げさではなく、クレンペラーほど覚めてはいない。
淡々と演奏しているのに、まったく退屈しないばかりか、どんどん引き込まれます。
またチェコフィルの響きのなんと有機的なことか!
マーラー交響曲第9番、忌み嫌っていた数字だが
グスタフ・マーラーは、1860年のチェコのカリシュトに生まれました。
4歳のころ、アコーディオンで軍隊の行進曲を弾いたりしましたが、まもなくピアノを習い始め、7歳では年下の友人たちにピアノを教えるほどの早熟ぶりでした。
15歳のとき、ウィーン音楽院に入学し3年間在学。
1880年20歳のとき、北オーストリア地方の夏期劇場の指揮者になりました。
これを振り出しにライバッハ、オルミッツ、カセル、プラハ、ライプチヒと、各地の楽団の指揮者を歴任し、次第に名声を高め、1888年、ブダペスト王立歌劇場の音楽長に就任。
1891年にはハンブルク歌劇場に移り、97年まで在任。
その間、ドイツ歌劇団をつれてロンドンに赴き、ドイツ歌劇を指揮して好評を博しました。
1897年、ウィーン国立歌劇場の指揮者に就任。ついで音楽総監督となり、1907年まで在職しました。
1907年には、ニューヨークのメトロポリタンに招かれて同歌劇場の指揮者となり、1908年から11年までの3シーズン、ニューヨーク・フィルハーモニーを指揮しましたが、持病が悪化しウィーンに戻り、11年5月18日に亡くなりました。
指揮者として華々しい経歴を持ち、作曲家としても9つの交響曲と大地の歌という傑作を残しています。
指揮者の後継者としては、ワルター、クレンペラーという20世紀の巨人に影響を与えました。
マーラーは、ベートーヴェンやシューベルト、ブルックナーが
みな「第九」まで書いて他界したことにこだわりました。
そこで、彼は九番目の交響曲に番号を付けず、交響曲「大地の歌」と名付け、
「第九」をとばして「第10」を完成させたのですが、
彼の死後、皮肉にもこの「第10」が「第九」と呼ばれています。
名演の名盤が多く、古くはワルター/ウィーンフィルとの1938年の歴史的な録音から、
バーンスタイン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管、
バーンスタイン/ベルリンフィル、バルビローリ/ベルリンフィル、などがおすすめです。
まとめ
アンチェルの演奏は、その表現自体は、慎ましやかです。
バーンスタインのように悶え苦しむような表現力はありません。
でもなんだろう、どちらからというと淡々と進める表現にどんどん引き込まれるのです。
誰もが驚くような生死を分けるような体験をしていながら、
それを静かに淡々と語られているような感じです。
えっ、そんな大変なことを経験されたのですか!?と聞く方が驚くようなことを
静かにしかし克明に語られるような体験をアンチェルの演奏から伝わってきます。
マーラーの第九交響曲を愛する人は聴かずに死ねない名盤です。
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