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エーリヒ・クライバー 名盤 モーツァルト フィガロの結婚

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こんにちは、
ともやんです。

今日は、エーリヒ・クライバー(以下エーリヒ)の誕生日。
1890年8月5日ウィーン生まれ。

なお息子はカルロス・クライバー(1930-2004以下カルロス)。現代はクライバーと言えばカルロスを思う浮かべる人の方が圧倒的に多いと思います。

エーリヒの幼少期は、言語学者だった父親の赴任先のプラハで過ごしました。
しかし、彼が5歳と6歳の時に相次いで両親を失い、親類の下でプラハやウィーンで過ごしたそうで、辛いよう幼少期を送ったようです。

ただ、プラハ大学で哲学、歴史、芸術史を学び、同時にプラハ音楽院で作曲と指揮を学び、しかも連日のようにドイツ歌劇場のリハーサルを熱心に見学したとあるので、経済力と理解ある親類の下で育ったようです。

熱心に歌劇場のリハーサルに通う姿が関係者の目を引き、21歳で無給の練習指揮者として採用され、このころ指揮者としてデビューもしています。

22歳でプラハ音楽院を卒業してダルムシュタット宮廷歌劇場の第三指揮者となり、ワインガルトナーやニキシュに認められ、ここを起点に研鑽を積み、昇格して行き名声を得るようになっていきます。

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エーリヒの全盛期は戦前だったかも

エーリヒは1923年に33歳という若さでベルリン国立歌劇場の音楽総監督に就任したのです。もしかしてこの頃から35年にナチスを嫌ってドイツを離れるまでの12年間が、彼の全盛期だったかもしれません。

実際1929年にベルリンのイタリア大使館の前で撮影された有名な写真があります。
ちょうどベルリンに客演で訪れたトスカニーニを中心に当時のドイツの楽壇に君臨した指揮者4人が写っているのです。

その4人とは、ブルーノ・ワルター(53歳)、オットー・クレンペラー(44歳)、ヴィリヘルム・フルトヴェングラー(43歳)、そしてエーリヒ・クライバー(39歳)です。

ただ、トスカニーニを初めとしてクライバーを除く4人は、20世紀最高の指揮者の一人と言えますが、その4人に比べるとエーリヒはどうしても劣るような気がします。

むしろ息子のカルロスが有名になったことで、そう言えば父親も指揮者だったね的に再度知られるようになったというと言い過ぎか。

ただ、レコード店でカルロスのLP、CDを買おうとして間違ってエーリヒのを買ってしまったという話は聞いたことがあります。

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エーリヒ 戦後ヨーロッパ復帰 悲しい末路

これはやっぱりユダヤ系ではないにも関わらず、ドイツ、そしてヨーロッパを去ったという行動がファンの気持ちが離れた遠因と思います。

ワルター、クレンペラーはユダヤ系だったのでナチスからの直接的な迫害を受け去らざると得ませんでしたが、エーリヒは自ら去ったのです。

フルトヴェングラーが、最後までドイツに留まって演奏活動を続け、戦後は戦犯の嫌疑を掛けられながらもあれだけ人気があったのは、ファンとしては最後まで俺たち、私たちと一緒に居てくれたという連帯感もあったと思います。

実際、エーリヒが戦後48年にヨーロッパ楽壇に復帰した時もファンの反応は冷ややかだったそうです。楽屋に訪れる者はなく唯一フルトヴェングラーだけだったそうです。

しかし、やはり実力者だけあってデッカと契約してそれなりに録音を残しています。
そこに聴くベートーヴェンやモーツァルトは、颯爽としたテンポで気風の良い演奏で、息子カルロスの演奏にもその影響を感じます。

戦後の活躍期間は短く1956年1月27日滞在先のチューリッヒの浴槽で失血死で亡くなっていたそうです。享年65歳。
折しもモーツァルトの生誕200年の日でした。

期待していたウィーン国立歌劇場の総監督の座は、54年からベーム、56年からカラヤンに決まったことで失望していたとも言われています。
一方、この年のウィーン・フィルのアメリカツアーの指揮者には決まっていました。

自殺説もありますが、全ては憶測で真実を知るのは本人だけでしょう。

亡くなる前年の唯一のステレオ録音によるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」は、ウィーン風では同曲最高の演奏と高い評価を受けています。

モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」全曲 エーリヒ・クライバー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

さてフィガロの結婚は、僕が唯一劇場で実演を楽しんだ歌劇です。
人間の欲望を茶化したドタバタの物語ですが、音楽だけを聴いても親しみやすいメロディーのオンパレードで楽しめます。

僕はいつもクレンペラーの泰然としながら透明感のある演奏で聴いていますが、エーリヒ&ウィーンフィルの情緒あふれる粋な演奏も楽しく聴きました。

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エーリヒ・クライバー&ウィーン・フィル他 フィガロの結婚

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト – Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)
歌劇「フィガロの結婚」 K. 492
Le nozze di Figaro (The Marriage of Figaro), K. 492
作詞 : ロレンツォ・ダ・ポンテ – Lorenzo Da Ponte
total(171:58)

チェーザレ・シエピ – Cesare Siepi (バス)
ヒルデ・ギューデン – Hilde Gueden (ソプラノ)
フェルナンド・コレーナ – Fernando Corena (バリトン)
ヒルデ・レッセル=マイダン – Hilde Rossel-Majdan (アルト)
シュザンヌ・ダンコ – Suzanne Danco (ソプラノ)
アルフレート・ペル – Alfred Poell (バリトン)
マレイ・ディッキー – Murray Dickie (テノール)
リーザ・デラ・カーザ – Lisa Della Casa (ソプラノ)
フーゴ・メイヤー=ウェルフィング – Hugo Meyer-Welfing (テノール)
アニー・フェルベルマイヤー – Anny Felbermayer (ソプラノ)
ハラルト・プレークルホフ – Harald Proglhof (バリトン)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
エーリヒ・クライバー – Erich Kleiber (指揮)
録音: 1955

モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」全曲 エーリヒ・クライバー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

DECCAのステレオ最初期の名録音を世界初SA-CD化!これ以上ない豪華歌手陣と
最晩年のエーリヒ唯一のステレオ・セッション録音の歴史的名盤。 (歌詞対訳なし)

ウィーン・スタイルとも言える究極の「フィガロ」として、あまりにも名高い伝説的な名盤です。往年の名歌手たちの豪華な競演も魅力的で、この曲の代表的な録音のひとつです。この録音から約半年後に他界するエーリヒ・クライバーにとっても、この収録がDECCAとの最後で唯一のステレオ・セッション録音となりました。



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