こんにちは、
ともやんです。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、多くのセレナードやディヴェルティメントを作曲しました。
セレナードは、広い意味では、愛人の窓の下で歌う情歌も含みますが、モーツァルトの書いたセレナードは、定めた形式に従った器楽曲です。
器楽のセレナードは、元来は少数の木管楽器で演奏する一種の組曲ですが、モーツァルトのセレナードは、弦楽器だけによるものや管楽器編成のものもあります。
セレナードは、日本では「小夜曲」と訳されていて、夜の調べを意味するもので、交響曲様式の前身をなすものですが、交響曲よりも楽器編成が簡略で、肩の凝らない娯楽を目的とした音楽でした。
当時の貴族たつの食事中に演奏されるTafelmusikであったり、お祝いの宴席などでよく演奏される音楽でした。
ディヴェルティメントも日本語訳は「嬉遊曲」で、気晴らしのための音楽です。
ヘンデルは、「水上の音楽」や「花火の音楽」を作り、ハイドンは王侯の食事を楽しませる同様の音楽を作りました。
モーツァルトも同様に必要に応じて多くの作品を残していますが、華やかな効果といい、美しい音楽内容といい、芸術的香りの高いのが特徴です。
さて、今日ご紹介するCDは、こんな愉悦溢れる曲にもっとも相応しくなさそうなクレンペラー指揮のものです。
この人、ベートーヴェンなどでは超厳しい演奏を聴かせるのに、時々、えっと思うようなチャーミングな演奏を聴くときなど、この人のスケールの大きさを感じさせます。
本人は、チャーミングに演奏しようとか、人を喜ばせようなどと思っていないと思いますが、真摯に音楽を追究していくとその曲の本質がクローズアップされ、曲の愛らしい部分が顕わになって聴く人を魅了させるのでしょうか。
参照文献:「名曲事典」属啓成(さっかけいせい)著、
音楽之友社、「モーツァルトをCDで究める」福島章恭著、毎日新聞社
クレンペラーの名盤 モーツァルト セレナード変ロ長調K.361“グラン・パルティータ”
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
セレナード第10番 変ロ長調K.361“グラン・パルティータ”
Ⅰ(09:27)Largo-Allegro molto
Ⅱ(07:01)Menuetto & TriosⅠ&Ⅱ
Ⅲ(06:49)Adagio
Ⅳ(03:51)Menuetto(Allegretto)&TriosⅠ&Ⅱ
Ⅴ(06:44)Romanze(Adagio)
Ⅵ(11:05)Thema & Variarionen
Ⅶ(03:19)Rondo(Allegro molto)
オットー・クレンペラー指揮
ロンドン管楽五重奏団・アンサンブル
録音:1963年12月
モーツァルト: 交響曲、前奏曲&セレナード<限定盤> オットー・クレンペラー フィルハーモニア管弦楽団
この曲は、「13管楽器」のあだ名でも知られている名曲です。
その呼称は、コントラバス・パートをコントラ・ファゴットで代用する後の習慣によるもので、コントラ・ファゴットは最近では使われなくなりつつあります。
また、モーツァルトの自筆譜にグラン・パルティータと書き記した人物が誰かもわかっていません。
クレンペラーの録音では、コントラ・ファゴットを使用しています。
クレンペラーはあのいかつい外見からと、またベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーで見せる堅固な構成力と充実した響き、そしてスコアを克明に描き切るスタイルから、近寄りがたい雰囲気がありますが、
逆にその曲に対する真摯なアプローチが、曲の本質をあぶりだして、チャーミングな愛らしい曲は、よりその部分が表面化するように僕は思います。
だから、この曲でもクレンペラーは、録音の先のリスナーに対して楽しく聴かせようとか、愛らしく聴かせようとか多分少しも思っていないと思いますが、聴いていて、なんてチャーミングな曲なんだろうと楽しくなってしまします。
クレンペラーの名盤 モーツァルト セレナード変ホ長調K.375
セレナード第11番 変ホ長調K.375
Ⅰ(08:03)Allegro maestoso
Ⅱ(04:40)MenuettoⅠ& Trio
Ⅲ(07:26)Adagio
Ⅳ(02:46)MenuettoⅡ& Trio
Ⅴ(04:08)Allegro
オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア管楽アンサンブル
録音:1971年9月
モーツァルト: 交響曲、前奏曲&セレナード<限定盤> オットー・クレンペラー フィルハーモニア管弦楽団
クレンペラーは、1973年7月6日に88歳でその壮絶な生涯を終えています。
コンサートから72年の1月に、レコード録音からも72年末で引退しました。
だからこの録音当時はすでに86歳の高齢でしたが、それだから出来た素晴らしい録音です。
その部分を福島章恭著「モーツァルトをCDで究める」から引用いたします。
“クレンペラー最晩年の録音は、まるで幼き子供の遊戯のように無邪気な演奏であり、
このさくひんの本質にピタリと重なり合う。”
僕がこの演奏に深い感銘を受け、ジーンと来るのは、クレンペラーの歩んできた波乱万丈な人生への畏敬の念からかもしれません。
コメント