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フルトヴェングラーの“運命”初めての録音から輝かしい未来のはずが

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フルトヴェングラーの運命

 

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第5番ハ短調作品67“運命”
ウィリヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 

第1楽章:Allegro con brio
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Allegro.Attacca
第4楽章:Allegro

1926年10月16,30日 ベルリン録音

 

フルトヴェングラーの記念すべき最初のレコード録音。
今から90年以上前の録音です。
アリアCDのオリジナル復刻盤です。



なぜフルトヴェングラーに惹かれるのか

フルトヴェングラーが亡くなってから、60年以上経ちました。
それでも日本での人気は衰えません。

 

どうしてなんでしょうか?

 

フルトヴェングラーは日本の地を踏むことはありませんでんした。

 

また残された録音はたくさんありますが、フルトヴェングラー自身は
レコードのことを音の缶詰と言っているくらいですから、録音には積極的ではなかったようです。

 

しかも残された録音は、モノラル録音ばかりでお世辞にも優秀とは言えません。

 

それでもフルトヴェングラー人気は続いています。

 

そうしてフルトヴェングラーは人気があるのでしょうか?




その生き方の姿勢

フルトヴェングラーは、当時の多くの音楽家と同じように、ナチスの支配下で窮屈な活動を行っていました。

 

ナチス支配下の1933年から45年は、フルトヴェングラー40代後半から60才に掛けての一番脂の乗っていた時代でした。

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多くの音楽家がドイツを去った後も、最後までナチス支配下で、自分の信ずる音楽を演奏し続けたのです。

 

結局、最後はゲシュタポに追いかけられ、命からがらスイスに逃れました。

この辺のストーリーは、まさにサスペンス映画を観るようなシーンです。

 

そして戦後は、2年ほど、ナチスに協力した疑いで演奏は出来ませんでしたが、最後は晴れて無罪になり、1947年5月に復帰コンサートを行いました。

 

しかし、復帰後の活動期間もわずか7年ほどで、68才という指揮者としては若く、他界しました。

 

まさに悲劇の指揮者といってもいいでしょう。

 

フルトヴェングラーはその表現力もさることながら、音楽に命を賭けた生き方にも感動させられます。

 

最初の“運命”の録音

このCDの演奏が録音されてから90年。

 

40才のフルトヴェングラーが聴かれるだけ幸せです。

 

もちろん最初期のSPからの復刻ですので、音はまことに貧しく、
残響もほとんどありません。

 

しかし、40才のフルトヴェングラーはやっぱりフルトヴェングラーで
後年の演奏と比べると颯爽としていますが、フルトヴェングラーらしさは十分出ています。

 

後年の演奏との比較は改めて紙面を設けたいと思います。





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