こんにちは、
ともやんです。
レナード・バーンスタインは、1918年生まれなので今年が生誕100周年です。
もっと活躍して欲しかったですが、1990年に72歳で亡くなってしましました。
10歳年上のカラヤンが前年に亡くなっていますから、2年続けてクラシック音楽の世界から、
今世紀を代表する指揮者が姿を消したことになります。
この二人の対決は、1970年に始まります。
カラヤンとバーンスタインが、お互いをライヴァル視していたかはわかりませんが、
その行動からカラヤンは、かなり意識していた感はあります。
今日はそのお話を少し書きたいと思います。
ベートーヴェン生誕200年 カラヤンvsバーンスタインのウィーン対決
1969年にバーンスタインは、ニューヨークフィルハーモニックを円満に辞任し、桂冠指揮者の称号を得ました。
以降もニューヨークフィルを指揮していますが、辞任後はフリーとなり世界中を客演するようになりました。
当時バーンスタイン51歳、まさに円熟に向かって歩み始めた頃で、知名度もカラヤンに負けてません。
そして翌1970年は、ベートーヴェン生誕200周年。
この記念すべき年にウィーンフィルが選んだのが、バーンスタインでした。
なぜなら、カラヤンが、1964年に陰謀めいた権力争いに敗れ、ウィーン国立歌劇場音楽監督を辞任していました。
当初は、二度とオーストリアでは指揮しないと公言したほどですが、それはすぐに撤回して、ザルツブルク音楽祭では仕事を続け、そこに国立歌劇場のメンバーが、ウィーンフィルとしてくれば、一緒に仕事をしたりはしていました。
カラヤンとウィーンフィルとの付き合いをみていると、同じオーストリア人であるが故に愛憎入り交じった感があり、お互い分かり合える部分が多いのにこじれると面倒というのがあるのでしょうか?
その点、ベルリンフィルとの関係は、ビジネスと割り切っていてむしろドライな印象を受けます。
でも、結局最後はウィーンフィルに戻りましたが。
ということで、ベートーヴェン生誕200年イヤーは、ウィーンフィルとしては、カラヤンと和解していないので選んだのは、バーンスタインでした。
ここからバーンスタインとウィーンフィルの関係が深くなり、70年以降、数々の名盤を世に生み出して行きました。
中でも、ベートーヴェンの交響曲全集は、出色の作品だと僕は思います。
バーンスタインとウィーンフィル 第九の代表的名演の名盤
交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」 Op. 125
Symphony No. 9 in D Minor, Op. 125, “Choral”
作詞 : フリードリヒ・フォン・シラー – Friedrich von Schiller
1.(15:19)I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso
2.(11:15)II. Molto vivace
3.(17:49)III. Adagio molto e cantabile – Andante moderato
4.(07:46)IV. Presto
5.(18:42)IV. Presto: O Freunde, nicht diese Tone! – Allegro assai
total(70:51)
ギネス・ジョーンズ – Gwyneth Jones (ソプラノ)
ハンナ・シュヴァルツ – Hanna Schwarz (アルト)
ルネ・コロ – Rene Kollo (テノール)
クルト・モル – Kurt Moll (バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団 – Vienna State Opera Chorus
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
レナード・バーンスタイン – Leonard Bernstein (指揮)
録音: 1979, Live recording, Staatsoper, Vienna, Austria
ベートーヴェン: 交響曲全集 [5CD+Blu-ray Audio] レナード・バーンスタイン
バーンスタイン生誕100周年記念にリリースされたCD+BDAセットがコンパクトな仕様で再登場
指揮者にして作曲家、不世出の音楽家レナード・バーンスタインの生誕100周年記念年にリリースされたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲全曲集リマスターCD+BDAセットが形を変えて再登場。
192kHz/24-bitでリマスターされたCD5枚組のセットに、全曲を1枚に収めたブルーレイ・オーディオ(192kHz/24-bit、5.0サラウンド・サウンド)をセット。
コレクター・エディションと同様のキャップBOXに入って、お手頃価格に生まれ変わりました。
解説書にはジェド・ディストラーによるバーンスタインとベートーヴェンについてのエッセー(英語、ドイツ語)付き。
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ベートーヴェン生誕200年に始まった、ビジネス合戦
1970年のベートーヴェンイヤーのバーンスタインは、大忙しでした。
まさに売れっ子指揮者。
まず1月にニューヨークフィルと「フィデリオ」のコンサート形式でも上演。
そして、4月バーンスタインは、ウィーンに飛び、4日と5日にウィーンフィルハーモニーとベートーヴェンの第九を演奏しました。
そしてすぐにアメリカに戻り、ボストン響との第九というスケジュール。
6月には再びウィーン戻り、「フィデリオ」を指揮しました。
こうしたバーンスタインの活動は、彼自身の会社がドキュメンタリー映画としてのちに売り出しています。
一方、カラヤンも手兵ベルリンフィルを率いて、1964年以来6年ぶりにウィーンに乗り込んで、6月9日から14日まで5回のコンサートで
ベートーヴェンの交響曲全曲を一気に演奏しました。
最終日の14日はもちろん「第九」でした。
もうこうなると偉大なる「第九」も自由や平和も、人類愛も関係なくなってきて、美しい音楽があるだけとなりました。
そして「第九」は、興行ビジネスやレコードビジネスにおける最高のヒット商品となっていくのです。
その先頭に立っていたのがカラヤンで、僕が70年以降のカラヤンの録音に感銘を受けないのは、カラヤンの追求する方向の問題なのかと思います。
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