こんにちは、
ともやんです。
今からもう50年近く前、当時まだ中学2年生だった僕は、フルトヴェングラー&ウィーンフィルの演奏でベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」のLPレコードを買いました。
それがフルトヴェングラーとの最初の出会いでした。
フルトヴェングラーが亡くなってからもう17年ほど経っていました。
なんでフルトヴェングラーのLPを買ったのかよくわかりません。
でも、いい選択だったと思います。
最初に買ったのが、カラヤン&フィルハーモニア管のベートーヴェンの”運命”とチャイコフスキーの”悲愴”のカップリング盤でした。
フルトヴェングラーの名前はなんとなく聴いていました。
その出会いから50年近く経ちましたが、まだフルトヴェングラーの録音を全て聴けていません。
今後可能な限り彼の遺して録音を聴いて、レビューして行きたいと思います。
フルトヴェングラーの戦時中の名演
ヴィリヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の生涯を見るともっとも音楽的に充実していた時期とナチスの支配下にあった時期が重なっています。
つまり1920年代後半から、第二次大戦が終わる1945年までの20年弱ですから、フルトヴェングラーが、40歳になったばかりの頃から、60歳になる手前までです。
これは、この時代に生きた多くの音楽家にとって不幸なことでした。
フルトヴェングラーにとっても
フルトヴェングラーの戦時中のキャリア
フルトヴェングラーの経歴を見ると1906年の20歳の時にカイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィルの前身)を指揮してデビューしています。
その後、リューベックとマンハイムの音楽監督に就任し着実にキャリアを積み上げて行きます。
そして1922年36歳の時、同年死去したアルトゥール・ニキシュの後任として名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管とベルリン・フィルハーモニー管の常任指揮者となります。
加えて1927年には、ワインガルトナーの後任としてウィーン・フィルハーモニー管の常任指揮者にも就任します。
まさの戦後のカラヤンを思わせるような重要ポストを手に入れて行きます。
しかもまだ30代という若さでした。
もし、ドイツにナチスが誕生し、台頭していきヨーロッパ全体を戦火に巻き込んで行かなければ、のちの1936年にはニューヨーク・フィルハーモニックからも次期音楽監督の要請を受けていますから、まさに世界のクラシック音楽界の頂点を極めるところまで昇りつめたことと思います。
しかし、この頃からナチスによる支配がはじまり、フルトヴェングラーは抵抗して行きますが、最後は、命を狙われるまでになりました。
命からがらスイスに逃れましたが、ドイツ敗戦後は、ナチスに協力した疑いで2年間も活動が禁止されてしまいました。
ようやく活動が許されてから、亡くなるまでわずか7年間ほどしかなく、レコード録音に協力的でなかったため、後世の人たちは、多くの放送用に録音されたものを聴くしかなかったのです。
ただそれが録音状態があまりよくない録音が、かえって人々の想像力を掻き立て伝説となって行ったのだと僕は思います。
フルトヴェングラーの苦悩
フルトヴェングラーは、ベルリンフィルの首席指揮者の要人として、政府主催の式典などでは、指揮をしなければならない立場でした。
特にヒトラーの誕生日を祝う式典には、ナチスから強いよう要請がありましたが、どうしても出たくないので、あれこれこじつけをつけて避けてきました。
また当時30代で注目を集めているカラヤンとのベルリンでの権力争いもありました。
そんな中、’43年6月にフルトヴェングラーは、2度目の結婚をしています。
しかも戦況は悪化の一途を辿っていました。
ベートーヴェンの英雄は、フルトヴェングラー自身苦悩する状況の中で演奏されました。
自分を取り巻く苦悩、特にナチスを打ち払うように、そして自らの結婚を祝うかの如く、迫力ある一世一代の名演を遺したわけです。
フルトヴェングラーの戦時中の英雄
フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの交響曲の中でも第3番「エロイカ」を得意としてて残されている録音は9種類以上あります。
その中でも一番古いのが、1944年12月に録音された俗に「ウラニアのエロイカ」と呼ばれるものです。
なぜそう呼ばれるかというと、1953年ウラニアというレーベルから発売され”ウラニアのエロイカ”としてセンセーションを巻き起こしたのです。
しかし、フルトヴェングラーが訴えたため、発売中止となりました。
僕が1971年の中学2年生に時買ったLPレコードが、その”ウラニアのエロイカ”と同じ音源とだったようです。
今では、残されているフルトヴェングラーのエロイカの録音で、もっとも劇的で録音状態も良いということで、LPレコードはじめ、CDで復刻されています。
ブラジル盤からの復刻
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン ? Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55
Symphony No. 3 in E-Flat Major, Op. 55, “Eroica”
1.(15:33) I. Allegro con brio
2.(17:35) II. Marcia funebre: Adagio assai
3.(06:38) III. Scherzo: Allegro vivace
4.(12:51) IV. Finale: Allegro molto
total(52:37)
※実際の録音時間と違い推定値です。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ? Vienna Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ? Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 19-20 December 1944, Vienna, Austria
アメリカ・ウラニア盤LPからの復刻CD(GS-2316/2024年8月発売/在庫僅少)の売れ行きを見ても、フルトヴェングラー・ファンのウラニア伝説に対する思いは、今なお非常に強いと言わざるを得ません。そこで今回は超稀少なブラジル・プレスのLP、SLP6530からの復刻LPを制作しました。ピッチが高いのはアメリカ盤と同じですが、マスタリングの際にそれは修正し、アメリカ盤との音の違いが容易に聴き取ることが出来ます。
なお、LPの響きを尊重するために、プチパチ・ノイズはほとんどそのままにしております。
ボーナス・トラックには南米つながりで、フルトヴェングラーが1950年4月にブエノスアイレスを訪問した際、コロン劇場管弦楽団を振ったハイドンの交響曲第104番「ロンドン」を加えました。
フルトヴェングラーが戦後、この曲を振ったのはわずかに1回、この時の公演のみでした。音質はさほど良くはありませんが、破格のスケールを持ったフルトヴェングラーの特徴はしっかりと刻印されています。
ウラニアのエロイカ2024年新復刻
製作者の平林直哉氏は次のようにコメントしています。
当シリーズでは2004年にGS-2005としてLP復刻を発売、同様のものは複数存在します。
しかし、今回はもう一歩踏み込んで、再度ウラニア盤のLP復刻を行いました(新規の復刻で、GS-2005の原盤の流用ではありません)。
調査した結果、ウラニア盤にはE3KPとULPの規格によるマトリクスを持つものが存在するようです。
E3KPの番号違い同士では大きな音質差はありませんが、E3KPとULPとは音質の差が非常に大きいことがわかりました。
従いまして、このLP復刻では全曲をE3KPのマトリクスから採り、ボーナス・トラックとしてULPのマトリクスによる第1楽章を付け、音質差を検証出来るようにしました。
また、マトリクスだけではなく、ジャケットやレーベル面にも違いが多々あり、それらも容易に判断出来るよう、解説書には写真を掲載しています。
なお、復刻には5枚のウラニア盤を用意し、最も状態の良い面を選んでマスタリングしましたが、LP特有のノイズが混入することは避けられませんでした。その点は、ご了承下さい。また、ピッチは修正しています。
まとめ
1971年、中学2年生の僕は、富山市の大きなレコードショップで、ベートーヴェンの交響曲第3番”英雄”のLPレコードをどれにしようか迷っていました。
この数ヵ月前に生まれて初めて30センチLPレコードを買ったばかりでした。
カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団によるベートーヴェンの”運命”とチャイコフスキーの”悲愴”がカップリングされたものでした。
当時1枚3,000円前後したLPレコードは、高価な買い物でした。
ましてや毎月親からの小遣いを少しずつ貯めてようやく買えるようになったのです。
カラヤンか?ベームか?ワルターか?
でも僕が選んだのは、フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団による1944年12月の演奏でした。
この選択が僕の人生を決めたようなものです。
それ以来50年弱、僕はクラシック音楽を聴き続け、そしてフルトヴェングラーの録音を聴き、激動の時代を振り返っているのです。
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