こんにちわ、
ともやんです。
チャイコフスキーの交響曲第5番は、僕の好きな曲です。
第6番”悲愴”も嫌いではありませんが、終楽章の哀しく終わる様は、いつ聴いても心が和みません。
その点、第5番は、苦しみから歓喜へ、困難を克服しての凱旋という構図があるので、聴いていて高揚感があります。
僕は、特にコバケンさんの演奏が好きです。
そんな好きな曲を苦手な指揮者のチェリビダッケで聴きました。
チェリビダッケ チャイコフスキーの異様さ
チェリビダッケは、戦後間もない頃、フルトヴェングラーが非ナチ化審理の間、ベルリンフィルを支えた功労者です。フルトヴェングラーが復帰した後も亡くなる54年までの400回以上もベルリンフィルのコンサートを指揮しました。
フルトヴェングラーの後継者は、チェリビダッケだと思う人は多かったようですが、結局は、ビジネスセンスに長けたカラヤンにその座を奪われてしまいました。
ただ、在任中からオケのメンバーともトラブルは多く、単に商売上手のカラヤンにやられただけではなさそうですが。
でも追われるようにベルリンを後にしたチェリビダッケの心境は本人しかわかりません。
その後、世界各地のオケを指揮して廻り、ベルリンを去って25年後の79年に名門ミュンヘンフィルの常任指揮者に就任しました。
ミュンヘンフィルとは多くのライブ録音が残されています。
チェリビダッケは、禅に傾倒していて、「有即無」存在は、その内部に非存在を内包するということらしい。放たれた音は減衰して必ず消えるという考えで、録音を嫌っていたそうです。
同じく録音に非協力的だったフルトヴェングラーの影響でしょうか。
それとも録音好きなカラヤンへの対抗意識でしょうか。
ここで聴く、チェリビダッケのチャイコフスキーは異様です。
超スローテンポで、細部に拘りながら展開する音楽は、なかなか馴染めませんでした。
同じスローテンポでも、クレンペラーは、レンガをひとうひとつ積み上げていく合理性を感じますが、チェリビダッケは、曲という大きな塊の粘土をこねていくような不気味さがあります。
ただ、聴いて行くうちにその異様さに浸るのもいいかなと思ってしまいます。
このライブ録音では、曲が終わって拍手が起きるまで、3秒ほども間があります。
聴衆もこの異様な演奏に飲まれていたのでしょうか?
そして曲が終わってようやく呪縛から解かれたように拍手をし出したという感じです。
チェリビダッケ チャイコフスキー 交響曲第5番
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー – Pyotr Il’yich Tchaikovsky (1840-1893)
交響曲第5番 ホ短調 Op. 64
Symphony No. 5 in E Minor, Op. 64
1.(18:15) I. Andante – Allegro con anima
2.(16:14) II. Andante cantabile con alcuna licenza
3.(06:35) III. Valse: Allegro moderato
4.(14:19) IV. Finale: Andante maestoso – Allegro vivace
5.(01:08) Applause
total(56:31)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 – Munich Philharmonic Orchestra
セルジュ・チェリビダッケ – Sergiu Celibidache (指揮)
チャイコフスキー:交響曲 第5番 セルジュ・チェリビダッケ 、 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
「クラシック・マスターズ」シリーズ。本作は、派手さや演奏効果の面に傾きがちなチャイコフスキーの交響曲第5番を、セルジュ・チェリビダッケが外面的な空虚さとは無縁の演奏で収録したアルバム。ゆったりとしたテンポと意味深い表情が強大な説得力を生み出し、チェリビダッケならではの音楽世界を展開する作品。
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