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クレンペラー ベートーヴェン 序曲集 1927年の名演

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こんにちは、

ともやんです。

 

オットー・クレンペラーの演奏、正確にいうと録音に残された演奏に惹かれ、聴きだし、LP、CDを集めだして、もう30年近く経ちます。

 

もっと言えば、初めてクレンペラーのLPを購入したのが中学3年の時でしたので、かれこれ45年ほど聴いてきたことになります。

 

でも、1972年に15歳の僕が初めて購入したシューマンの交響曲全集は、僕が、あまりにも未熟過ぎてよく理解できなかったというのが、正直なところで、当時の人気指揮者というとカラヤン、ベーム、それにバーンスタインというところで、もう引退してしまっていたクレンペラーは、過去の人というイメージでした。
※僕がLPを購入した72年当時は、まだレコーディング活動はされていたようです。

 

でも不思議なことに30歳頃からこの人の演奏が何か、心に突き刺さるようになりました。

 

さて、今日は、1927年、今から90年以上前に録音されたベートーヴェンの3曲の序曲をご紹介します。

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クレンペラーの生涯と1927年頃

 

本日、紹介するベートーヴェンの3曲の序曲は、1927年から33年に掛けて主にドイツ国内で活動していて、もっとも充実していた頃の録音です。

 

では、1927年はクレンペラーにとってどんな年だったかというと、1927年1月、2度目のアメリカ・ツアー。

 

9月、クロル歌劇場での最初のシンフォニー・コンサート。
バッハの管弦楽組曲第3番にモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(シュナーベル独奏)、ヤナーチェクのシンフォニエッタというもので、ヤナーチェク本人もリハーサルから臨席。
なお、この時の録音はありませんが、後年51年の録音が残されています。

 

11月、『フィデリオ』でオペラ上演をスタート。
舞台装置と共同演出はデュルベルク。

 

12月、翌月にかけてベルリン国立歌劇場管弦楽団とブラームスの交響曲第1番を録音。
これは、1928年2月3日録音というデータと同一の録音と思います。

 

資料参照:タワーレコードより

 

 

また、クレンペラーが指揮者としてデビューしてからのおおまかな流れは次のようになっています。

 

1907年からプロとして指揮を始めたクレンペラーは、1939年までの32年間、体そのものは丈夫だったものの、

 

1910年に双極性障害と診断されてからは、ときにメンタル面でのトラブルを抱えるようになり、施設療養することもたびたびありました。

 

マーラーの紹介状のおかげで22歳から歌劇場で揉まれることになったクレンペラーの生活は、26年間で8つの歌劇場を渡り歩く一方で、オーケストラ・コンサートも指揮するという多忙なもので、ときおりサナトリウムを訪れてメンタルな問題を解決していました。

 

1933年のアメリカへの亡命後は、ロサンジェルス・フィルの音楽監督に就任、コンサートをメインに活動するようになり、加えて、ニューヨーク、モスクワ、プラハ、ブダペスト、ウィーン、シュトラースブルクに演奏旅行。

さまざまな作品をとりあげるようになります。

 

参照資料:HMVより

 

 

 

クレンペラー ベートーヴェン コリオラン序曲

 

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
序曲「コリオラン」ハ短調 作品62

演奏時間 06:57

 

オットー・クレンペラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
録音:1927年

 

序曲「コリオラン」は戯曲家コリンの書いた悲劇からヒントを得て作り上げたもので、コリオランとは、プルタークの英雄伝に出てくるローマの英雄です。

 

シェークスピアも戯曲『コリオレーナス』を書いています。

ベートーヴェンが1807年に作曲し、コリンに捧げられました。

 

ワーグナーはー「偉大な力、不撓(ふとう)の自信と熱狂せる反抗心が、憤怒、憎悪、破壊的精神のうちに台頭する姿を、眼前に髣髴(ほうふつ)たらしめるとこの曲を評しています。

 

ベートーヴェンは、彼の性格をこの戯曲の主人公に見出し、曲中に自己の表現を試みたと言われています。

 

1927年の録音ということで、どんな状態か不安でした。

しかし、十分、演奏の内容がわかる音質です。

 

颯爽としたテンポで、厳しいアプローチで、どこにも甘さがない凝縮した演奏です。

ぶっきらぼうで武骨ですが、これぞベートーヴェンというイメージです。

 

今回ご紹介する3曲の序曲の演奏の内、「コリオラン」が、もっとも後年のクレンペラーのイメージと通じるものを感じます。

 

それは、厳しく克明に描きいることに徹し、当時はそれに溢れる活力と颯爽としたテンポがありましたが、後年は、厳しく克明に描くことは変わらず、身体的な影響もあってか、遅いテンポと合体して重厚さでスケールの大きさな演奏になったと思います。

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クレンペラー ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番

 

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
序曲「レオノーレ」ハ長調 作品72a

演奏時間 14:00

 

オットー・クレンペラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
録音:1927年

 

この第3番は、第1番より以前の作、ベートーヴェンの序曲中最大の傑作で、
もっとも芸術の香りの高いもです。

 

今日、歌劇「フィデリオ」の上演には、最後の場面のまえに、
この第3番が演奏される慣例になっています。

 

管弦合奏のアンダンテで始まり下向音階の楽句が続きます。

 

これは土牢におりてゆくありさまを示しますが、

ついで二つの主題がこの歌劇の主要素材を象徴して現れます。

 

やがて遠くから響くトランペットの演奏によって裁断が告げられ、

序曲は歓喜の内に終わります。

 

コリオラン同様厳しくも覇気溢れる演奏ですが、曲想からか
この曲の演奏は、もっと伸びやかな印象があります。

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クレンペラー ベートーヴェン エグモント序曲

 

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
序曲「エグモント」作品84

演奏時間 08:44

 

オットー・クレンペラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
録音:1927年

 

11曲あるベートーヴェンの序曲のうちもっとも知られている名曲で、

ゲーテの悲劇「エグモント」に感激して、1809年から1810年に掛けて作曲されました。

 

リストは、「ベートーヴェンが、大詩人の言葉から、霊感を得て描き出した最初の一例である」と語っています。

 

曲は、二つの主題と幻想からなり、これがいろいろ変化して、

愛国の熱火をもって、燃えるが如く奏出されます。

 

おどろおどろしい開始から、コーダでの輝かしいまでの演出が、

さすがにオペラで経験を積んだクレンペラーの技量と思います。

 

 

 

 

まとめ

 

ナチスが政権を取るのが、1933年。

その年、ユダヤ系のクレンペラーは、アメリカに亡命します。

 

だから、だから1927年から33年の6年は、壮年期のクレンペラーとしても、
もっとも精力的に活動できた時期ではないでしょうか。

 

ベートーヴェンの3曲の序曲を聴くとそれが良くわかります。

 

古くて情報量の乏しい録音からも、40歳代のクレンペラーの覇気溢れる演奏ぶりが伝わってきます。

 



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