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キリル・ペトレンコ キリル・ゲルシュタイン ラフマニノフ

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こんにちは、
ともやんです。

中学生だった1970年からクラシック音楽を聴き始めました。
当時は、クラシック音楽というとカラヤン。カラヤンというとベルリンフィル。カラヤン&ベルリンフィルがクラシック音楽の代名詞のような時代でした。
少なくても僕はそう感じてました。

まるでその少し前60年代の野球と言えば巨人(読売ジャイアンツ)、大相撲と言えば大鵬というようにまさに一強時代とも言える時代と感じていました。

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ベルリンフィルと言えば

カラヤンがベルリンフィルの首席にして終身指揮者になったのが、フルトヴェングラーの1954年の死後の翌年。

だから僕より20歳ほど上の世代は、ベルリンフィルと言えば、フルトヴェングラーと感じると思います。しかし、フルトヴェングラーは第二次大戦後からしばらく戦犯容疑で演奏活動を禁止されていました。

フルトヴェングラー不在の期間を支えたのが、チェリビダッケでした。
しかし、僕がチェリビダッケの存在を知ったのが、ずっと後、彼がもう老境に差し掛かった頃でした。
僕はこの事実を深く憂慮しました。
つまりカラヤンは、チェリビダッケの存在を消し去っていたのです。いやカラヤン本人がそれを指示したのか、それとも周囲が忖度してチェリビダッケの情報を抑えたのか。

しかし、カラヤンは1989年7月に急死。その生涯の最後は、ベルリンフィルとケンカ別れという状況でした。そしてフリーの指揮者として出発しようという矢先だったのです。

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ベルリン・フィル カラヤン後

カラヤンの死後、ベルリンフィルの首席は、アバド、ラトルと続き、個人的には魅力を失いました。僕はカラヤン&ベルリンフィルはファンでもあり、アンチでもありました。その魅力は僕にとってはせいぜい1970年代の初頭までです。

70年代後半からの演奏は、聴く気がしませんでした。
なぜならその響きは豪奢で厚化粧的に僕には聴こえたからです。

そのカラヤンのこってり味からアバドのうす味となり、ラトルはいまひとつ吹っ切れなく感じました。そしてラトルの後任として首席になったのが、キリル・ペトレンコ。
当初、同じロシア出身のヴァシリー・ペトレンコかと思ったほど、録音は少ない人でした。

しかし、この人期待できるかもしれません。往年のベルリンフィルのサウンドを蘇らせるかもと感じさせます。

今年の来日公演のレビューを読んでも剛毅で重厚な響きを聴かせたそうです。
今回聴いたキリル・ゲルシュタインのピアノ独奏と組んだラフマニノフのピアノ協奏曲第2番からは、その剛毅さと引き締まった響きには好感を持ちました。

個人的には、キリル・ペトレンコ&ベルリンフィルに大いなる希望を感じています。

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キリル・ゲルシュタイン キリル・ペトレンコ ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

セルゲイ・ラフマニノフ – Sergey Rachmaninov (1873-1943)
ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op. 18
Piano Concerto No. 2 in C Minor, Op. 18

1.(09:48) I. Moderato – Allegro
2.(10:39) II. Adagio sostenuto
3.(10:40) III. Allegro scherzando
total(31:07)

キリル・ゲルシュタイン – Kirill Gerstein (ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
キリル・ペトレンコ – Kirill Petrenko (指揮)

ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番、他 キリル・ゲルシュタイン 、 キリル・ペトレンコ 、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ラフマニノフ生誕150周年記念アルバム第1弾2022年ヴァルトビューネで共演したペトレンコとゲルシュタインによるピアノ協奏曲第2番そしてフィルハーモニー大ホールで特別に録音したゲルシュタインのソロを収録。

<キリル・ゲルシュタイン>
1979年ロシアのヴォロネジ生まれ。両親が聴いていたレコードの影響でジャズを独学で学ぶ。ディジー・ガレスピーやオスカー・ピーターソンに大きな影響を受ける。選ばれし子供(「ギフト」)が入学できる音楽学校で教育を受け、14歳で渡米し、史上最年少でバークリー音楽大学の学生となる。はじめはジャズ、その後16歳からクラシックに集中するようになる。

ニューヨークのマンハッタン音楽院でソロモン・ミコフスキーに師事、その後ドミトリー・バシキーロフ(マドリッド)とフェレンツ・ラードシュ(ブダペスト)らに師事。

2001年、エイヴリー・フィッシャー・キャリア・グラントを受賞。同年第10回アルトゥール・ルービンシュタイン・コンクール優勝。2002年、第6回ギルモア・ヤング・アーティスト・アワードを受賞。その賞金をもとに、ティモ・アンドレス、チック・コリア、アレクサンダー・ゲール、オリヴァー・ナッセン、ブラッド・メルドーらに新曲の委嘱もしているまた、音楽家にとって教育に携わることは不可欠と考え、2007年から2017年の間、シュトゥットガルト音楽大学でピアノ・クラスを指導した。

2018年10月には、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学でピアノの教授に就任。さらに、クロンベルク・アカデミーの新設の「サー・アンドラーシュ・シフ・パフォーマンス・プログラム・フォー・ヤング・アーティスツ」でも後進の指導にあたっている。



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