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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 初演の日

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こんにちは、
ともやんです。

1811年11月28日、ライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されました。
独奏を受け持ったのがフリードリヒ・シュナイダー(1786-1853)。

その約3ヶ月後の1812年2月15日、ウィーン初演がカール・チェルニーの独奏で行われました。

古今のピアノ協奏曲の中でも、まさに皇帝という名称に相応しい、壮大で華やかな傑作です。

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ベートーヴェン 最後の協奏曲

ベートーヴェンの完成した作品としては「皇帝」が最後の協奏曲となりました。
ピアノ協奏曲第4番が1807年に完成後、約1年半後作曲に着手したと思われます。

1808年12月22日には、交響曲第5番と第6番「田園」、ピアノ協奏曲第4番、合唱幻想曲が初演されましたが、その後1809年から作曲に取り掛かったというのが現在有力な推測です。

そして1809年中にはほぼ完成していたと思われます。

『モーツァルトは子守唄を歌わない https://amzn.to/3ASNkU2 』森雅裕著では、1809年時点で初演に備えて、まだ18歳のチェルニーが練習している風景が描かれています。

しかしその後、当時のウィーンは、ナポレオンに占領されていた事情もあり、ウィーンでの初演が延期になったとも書かれています。

ちなみにこの小説は僕の愛読書ですが、ベートーヴェンとチェルニー、シューベルトが、ベルンハルト・フリースの書いた作品をモーツァルトの作品として出版されたことに対して抗議するフリースのシレーネと協力してその謎を解いていくと物語です。

ちなみにライプツィヒで初演された理由は、ウィーンの情勢の問題もあったかもしれませんが、「皇帝」の楽譜の出版に関してベートーヴェンが最初に打診したのが、ライプツィヒの出版社に交渉したためと思われます。

ベートーヴェンとしても早く収入したかったからでしょう。
それは、ナポレオンのウィーンへの侵攻で、ベートーヴェンの後援者であった貴族たちがこぞって疎開してしまったためとも思います。

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ベートーヴェン 皇帝 当初は受けなかった

ベートーヴェン最後の協奏曲「皇帝」は、初演直後は、好評で迎えられたものではありませんでした。
当時の聴衆には、ベートーヴェンの作品は、革新的で前衛的と受け止められたと思います。
なお、「皇帝」という名称は、ベートーヴェン自身が付けたものではなく、出版人のJ・B・クラマ―が、この作品の壮麗な印象により付けたと言われています。

上記の小説『モーツァルトは子守唄を歌わない』では、サリエリに「また、ガシャガシャ弾きまくる曲ですか?」とベートーヴェンはからかわれています。

もちろん、小説上の創作ですが、「皇帝」の印象を良くとらえていて笑ってしまいました。
しかし、初演からしばらくは不評だった「皇帝」も1830年代、つまりベートーヴェンの死後には傑作として不動に地位に着くことになります。

CDは、名曲だけにたくさんあります。
贔屓のピアニストで聴けばいいと思いますが、今回僕が聴いたのが、内田光子の独奏、クルト・ザンデルリンク指揮バイエルン放送響の風格の演奏。

内田が、尊敬するザンデルリンクとの共演を希望して実現した録音だそうです。
録音当時、87歳のザンデルリンクの大河のようなバックで内田がのびのびと演奏しています。

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内田光子 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 「皇帝」 Op. 73
Piano Concerto No. 5 in E-Flat Major, Op. 73, “Emperor”

1.(20:59) I. Allegro
2.(08:21) II. Adagio un poco moto –
3.(10:33) III. Rondo: Allegro
total(39:53)

内田光子 – Mitsuko Uchida (ピアノ)
バイエルン放送交響楽団 – Bavarian Radio Symphony Orchestra
クルト・ザンデルリンク – Kurt Sanderling (指揮)
録音:1998年11月

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集 内田光子 クルト・ザンデルリング

内田光子のたっての希望により実現した、彼女が敬愛してやまない巨匠、クルト・ザンデルリンクとの共演による、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲の全集録音。両者のベートーヴェンへの深い共感が感じられる名演です。



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